逃した電車が教えること 断罪癖から抜け出せ

今日も今日とて製造業の夜勤に励み、

挙句オンタイムに駅に到着したにもかかわらず

帰りの数少ない電車を逃し

くっそ!!!とほぼほぼ駅のホームで叫んだ私であるが、

断罪癖は自分を不幸にするというのが私の論である。

というのも、そもそも物事は物事でしかなくて、

事実は事実でしかない。

はあ??

と言われれば、まあそうなんだけども。

言いたいのはつまりこうだ。

起こった物事・事実はその通り現実である。

だが、そこに何を感じるかは人それぞれなのである。

そう、何が起ころうと感じるのは人それぞれ。

ある人にはラッキーでも、ある人にはアンラッキーで、

ある人には腹立だしく、ある人にはどうでもよくて、

ましてやある人には喜ばしいことであったりする。

今回の電車を逃した件でいえば、

お家大好き民の私にはものっっっっそ腹立つ事態である。

え?お家帰るのに20分余分にかかる!うそ!しにたい!

冗談じゃなくこんな心境である。

働く引きこもりをなめてはいけない。

何のために周りの白い目に耐えながら

定時ダッシュをかましてると思ってんだ…!

そう、すべては早くお家という安全シェルターに帰るためである。

ここに帰れなければいつまでたっても気が休まらず、

もうHPもMPもぐんぐん減りまくって瀕死状態になる。

お家だけがセーブポイントであり、オアシスなのである。

帰り道にスタバやらマックやら寄ったところでMPは回復しないのだ。

これが引きこもりが引きこもりである所以だと思う。

お家以外にセーフスペースがないのである。

よって死罪!!!!!

…ちょっと熱く語ってしまったが、話を戻そう

そんなお家大好き民私が電車を逃すと何を思うか、

そう

ひかえめにいってSHINE!である

決して輝いているわけではない、

真夏の朝6時の駅のホームは確かに輝いているが

心は真っ反対である。くっそ暑いし。

だがしかし、

私には通退勤時本を読む習慣があって

ちょうど今、読みかけの本がKindleにあった。

どうせ読むことを考えたら家(出勤前の隙間時間に読むこともある)で読もうが、

駅のホームで読もうがそんなに変わらないのである。

というわけで8時間働いた挙句、

じんわり暑いホームでキレ散らかすことにも疲れて

もうこれは本の続きを読む時間だな。

本が読めというておる、それしかないわ。

と開き直ることにしたら自然とイライラは収まった。

収めたようにも見えるが、別に我慢というより

どっちかっていうと手放した?

起こってしまったことへの裁判から降りた。

時刻表の予定1分前に発車したJ〇西日本に死刑を求刑する!!!

と言いたかったが、そんなこと考えたとこで

死刑になりはしないし、電車は帰ってこない。当然である。

ただ私が腹が立ち、イライラするだけである。

それならいっそ、もういっかあ、となるしかない。

他のちょっと楽しい、ちょっと嬉しい、ちょっとわくわくする

そんな都合や予定で自分を煽てて宥めてやるのである。

上級者ならそんなこともせず、

この時間は時間で、良い時間だなー

あ、朝焼けの残り香を感じる空だなあ、きれーい

ほんのり赤と青が混じってきれいだなあ

でことが済むのだろう。

私は目下訓練中ので、空も眺めた上に残った本を読んで

ようやくまあ、いいか、と思えたのである。

特に断罪癖のある人は、一回でいいからその裁判を放棄してみてほしい。

断罪なんてしたつもりない…という人は

「普通なら~だよね?」

「常識的に考えて~じゃないの?」

「人としてそれはどうなの?」

こういう「普通」「常識」「人として」「社会人として」などなど

大きい言葉を主語にして主張してることはないだろうか?

それはある意味、社会を盾にした断罪であると思う。

「私は~と思う。」であれば、個人の意見、感想である。

しかし、「いや、普通さぁ?~じゃないの?」と言えば、

それはもう断罪の片棒を担ぎ始めているので気を付けてほしい。

個人の意見や感想はもちろんどんどん発信したらいいし、してほしい。

だが、断罪は癖になると、自分がどんどん苦しくなるので気を付けてほしい。

かくいう私は断罪癖がある。

今回で言えば

「普通さあ、遅くなることはあっても

予定時間より早く発車するとかありえんくね???

乗るつもりの人も乗れへんやんけ(よって有罪!!!!)」

が、断罪癖もりもりの意見である。

もっと言えば

『そのせいでロスした時間どうしてくれんねん』

そう私は執念深いし、すぐ人を恨むタイプである。

でも恨んでも、怒っても、地団駄踏んでも、駅員睨みつけても

時間は返ってこないし、電車も帰ってこない

脳内でなんぼ華麗な裁判を繰り広げても

現実は目の前には空っぽの駅のホームしかない。

これがまあ

「あーあー、電車行ってしまったー!ざんねーん!!」

「はよ帰りたかったのにー!もうー!」

で済めばそれは感想なので大丈夫だと思う。

大体そのあとに心の黒いとこから

「ふつうさあ????」

とか浮かんできたらそこでストップしよう。

今回、私はGo〇gleで早くに発車することが

あるのかまで調べてしまったが

そんなことをしたところで電車が

「あ、ちょっと早かったよね、ごめんね!」

とかって戻ってくるわけないのである。

なんなら正論パンチで余計イラつくおまけつきである。

それなら、もうその現状を受け入れて

さっさと切り替えたほうが得だろう。

「えー!?乗れんかった!くっそ!ほな待ち時間ゲームしよー」

くらいのほうが幸せなのである。

「えー!?乗れんかった!くっそ!わしの20分返せ!!!

こちらは間違いなく不幸だろう、まあ私だが。

急な残業や交通機関の遅延、クソ上司の気まぐれ…

降りかかる災難は正直数えきれないし、予想できない。

そんななかで自分を守るのは

断罪して悪(と思うもの)と戦う気持ちより、

はあーまあどうでもいいわ、そんで?じゃあどうする?

私はどうしたいかな?

という、自分がどうしたいか、だと思う。

身体と心のために残業を適当な理由で断るのも、

残業に応じてその分贅沢したり課金したりするのも、

遅延を必死のパッチ(全力)でリカバリーして仕事にいくのも、

遅延に乗じてゆったりしてみるのも、

クソ上司の気まぐれに乗るも乗らないも、

もっとあなたの感じることを優先していいと思う。

普段、「普通なら~!」「常識的に~!」という人ほど、

その概念に縛り付けられて苦しい思いをしている。

相手に求める分、自分にも求める。

「えぇ?そんなこと気にしてたのぉ?↑」とかほざかれた時には

滅多打ちにしてやりたくなる。

でも、むかつくかもしれないが、

ある意味現実なのである。

人間は他人には興味がない。

一般的に規律やルールは守らないといけないが、

環境によっては自己満足みたいなもんである。

そうなったときは他人を断罪するのではなく、

ルール、規律を守るのは自分を守るためであって、

他人のためではないと少し息を抜いてみてはどうだろうか?

歩きスマホだって別にしてもいい

ただ、そのせいでひき逃げにあっても

あなたが後悔しないかどうかは分からないが。

歩きスマホしてなくてもひき逃げに遭うことあるでしょ!

尤もである。

だが、歩きスマホをして不注意な人間をひき逃げした場合と、

歩きスマホをしないで注意して歩いていた人間をひき逃げした場合と、

全く同じだろうか?

恐らく後者に非は認められないはずである。

だから私たちはひき逃げ犯を断罪するのではなく、

自分を心を守ることに徹した方がいい。

断罪は司法に任せればいい。

もし法でも裁ききれないときは、そのとき考えた方がいい。

仕事や生活で大変なのに人まで裁いてたらやってらんないわ。

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