いい子やってたら幸せになる世界じゃない

いい子やってたら

正当に評価されて、

いい子やってたら

他人に危害を加えられることなく、

平和に暮らせるなんてのは幻想である。

30年ちょい生きてきてようやく学んだ。

社会とは理不尽なもんである。

これを最初書いた時、

思わず過去の事をつらつらと書いたが

今回はいい子になった過程は

関係ないので割愛する。

社会のルールを守り、

社内のルールを守り、

モラルを遵守し、

全うに生きていても

人生は理不尽なもんで、

必ず救われるわけではない。

だからルールなんてモラルなんて

マナーなんて守んなくていいよ!

そんな話ではない。

そこに過大の期待をしてはいけない。

そういう話である。

ルールを守ってるから、

マナーを守ってるから、

モラルを遵守してるから、

だからといって安全ではないこと。

だから、社会に守ってもらえるわけではないこと。

そこについてである。

簡単に言えば

自分を押し殺していい子やってても

割食う時は割を食うのである。

だから他人のために

いい人になる必要はない。

自分のためにならば問題ない。

人の目が、社会の目が怖くて

いい子やってるんなら

即刻辞めた方がいい。

人の目社会の目のためのいい子ちゃんほど

割の合わないことはないと思う。

自分がそうしたい、

そうしようならともかく

自分も体調悪いのに

電車の座席を他人に譲って

電車で色々ぶちまけようなもんなら

それはそれで本末転倒である。

急な残業、急な休出の依頼もそうである。

いい子したくて無理して応じて、

結局その後、突発欠勤をしたら

いい子であるどころか…である。

突発欠勤を悪いと責めている訳ではない。

私も人間だから突発欠勤はしたことなんか普通にある。

だが、急な残業や急な休出に

応じてそのせいで休むのであれば

そもそも断ればいいのである。

もちろん、その時は体調も万全で

過去の経験からも大丈夫だと判断したのなら仕方ない、人間だもの。

だが、問題は

そもそも応じれる状況じゃないのに

いい子ちゃんしたくて応じた場合である。

結局人に迷惑をかけるなら

予定の分かっている休みの方がいい。

来るはずなのに来ない、の方が

大変なのである。

私も昔は残業だろうが休出だろうが

欠勤の穴埋めだろうが

人に必要とされることがうれしすぎて

犬なら嬉ションするレベルで応じていた。

だが、結局待っていたのは

私をそれこそ人間とは思っていない

舐め腐った態度になった上司だけだった。

もちろん、

働いていた環境が悪かったのもあるが、

人には甘えが生じるのはよくある話だ。

いつも断る人が引き受けたら

『ありがとう!助かる!』なのに

いつも引き受けている人が断ったら

『は?なんで????』

になるのが、まあ大多数の人間である。

ほんとに切ない話である。

これで断った時に

『いつも頼んじゃってごめんね!

今回は別の人に頼むね!』

で済めば神だが、

大体は

『はあ?なんで今回はダメなの?

意味分かんないんだけど?』

みたいなパターンである。

そもそも気軽に人に物事頼むやつは

他力本願で他人が自分を助けるのが当たり前という人が多い。

そんな人の依頼を断ると

上記のようなことが起こり得る。

他力本願でない人ではあれば

『そっか、分かった!自分でやってみる!(もしくは他の人に聞いてみる!)』

で済むんだが

この世界そんな善人ばっかりではない。

そしてこの毒に苦しむ人が多いこと。

苦しまなくていい。

そんな毒は取り入れなくていい。

投げ捨てていい。

『は?なんで?』

と言われても、何ででもあるが本音だろうが、言えないのなら

『今回は都合が悪いので』

『すみませんが、難しいです』

で往なすのがいい。

最近3時間残業を頼まれた時

翌日が休日、来週は夜勤で

時間にゆとりはあったが

突然+がばがば上司起因の残業だったため

「大丈夫?いける?(いけるよね?)」

という上司に

『我慢します』(震え声)

と思いっきり本意ではないことをお伝えしている。

そしてもともと決めていた退職の意を

もう解決できないほどバキバキに固めた事案であった。

昔なら『大丈夫ですー』(半笑い)をしていたところだったが、

そういうことをして

自分を消耗してきた経験があるので

残業には応じるが、このふざけた残業を迎合するつもりはないという意思表示ある。

というか、そんなことやってっから人が定着しねえんだろ。

と心で毒を吐き散らした。

結局何が言いたいかっていうと

与える余裕がないなら

与えなくていいということ。

それで与えなくても悪人ではないこと。

むしろ与えてもらうときがあっても

それは素直に受け取っていいこと。

そして自分が与える余裕があるときは

与えればよいということ。

自分を犠牲にして

お金も時間も体力も

他人にばっかり投げうっても

幸せになる世界じゃない。

そういうことである。

自分がすでに幸せで、

与える余地があるなら与えたらいい。

与えるなんて厚かましいというか

大仰な、と言われるかもしれないが

人の、時間も、お金も、体力も

全て大切なものである。

大仰で当たり前である。

あなたが苦しくなるくらいなら

気を遣わなくていい

親切にしなくていい

他人に向ける気遣いや親切を

まず自分に向けてほしい。

友達や他人には『大丈夫?』って

言えるのに

自分には『大丈夫?』って

言えない人が多すぎる世の中で

自分勝手だとは思わず、

自分を労わってほしい。

人は身勝手なもんで、

助けもしないのに

他の人を非難したりするが

それは罪悪感の裏返しであったりする

本当に助けろ!と思うなら

そいつが助けたらいいのである

距離や金や時間なんぞ言い訳である。

やりたきゃやれ。

やれないなら文句言うな。

それだけだと思う。

自己犠牲をして賞賛されると思ったら

大間違いである。

案外、人は薄情である。

「あなたに助けてとはいっていない」

「そこまでしろとはいってない」

「あなたが勝手にしたことでしょ?」

そんなこと言われても

後悔しないのなら。

それはそれでいい。

自分がそうしたくてそうした。

それならかまわない。

でもそうじゃないなら、

よくよく考えた方が良いと思う。

まずは、あなたがどうしたいのか

それを考えて優先する癖をつけてほしい

いい子やってたら幸せになる世界じゃない。

まず自分を幸せにしてあげてください。

私もがんばります。

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